ブログ

 

ブログ一覧

過去をみつめて、未来を創るために

「過去をみつめて、やがて未来を創るために」 

 

 普段、利用希望のとくに若者たちの悩みに向き合う機会が多いことについては、以前にもこのブログで少しふれている。悩みは様々、学校の人間関係、大学のミスマッチ、就職のミスマッチ、職場の人間関係の問題などの問題を抱えて不安な日々を送っている。時に初対面2時間、話しこむこともある。それぞれが切実な問題を抱えて、そこに向き合うなかには、私自身がいつの日か経験してきた葛藤もあることだろう。若者にとって人生における葛藤とはいったいどんなことだろうか。時の経過とともに、感性も鈍くなっている(年齢とともに、感性はおとろえてはいるだろう。)とすれば、平成10年代生まれの若い世代と、どのくらい真の意味で対話できているか分からない。ただ若者の気持ちをいつかの自分自身と重ね合わせて振り返れば、同時代史的な経験則で、いつの時代にも通じるものがあることも確かである。(そしてなにより気持ちは若いつもりではある。)若い頃の悩みは混沌と漠然としていて、やり場のない鬱蒼とした感情、焦燥感、未来への期待と不安、思い描いていた理想の自分と現実、いろいろな種類の葛藤があったことがよみがえる。

将来への展望を描くなかで、思い描く自分像と社会における実情とのギャップに突き当たることは、誰もが経験していることである。この葛藤についての向き合い方は様々で、理想をみつめて戦う意欲に満ちあふれる人がいる一方、厳しいと感じる社会の現実にくじかれ、自分が自分でなくなるような、喪失感、諦念、そんな感覚にぐるぐると囚われて、不安になるそんな感じに苛まれる人もいる。若い頃の私自身を振り返れば、どちらかというと後者であった。今から20年近く前の2000年初頭、社会、とりわけ同世代に置いていかれるような、そんな感覚が20代前半であったことを思い出す。現実を閉ざしてみようとしなければ、それも決して楽なことではなく、みたくもない現実が後追いしてきて、無関心を装ってみても、引っかかるものから自由にはなれなかった。少し前向きな意識で、現実との妥協点を探してもなかなかみつからない。心と現実のすりあわせを何回も重ねながら、周りの景色だけが移り変わり、いつしか、すり合わせもうまくいかなく、周りとの差もわからないくらいになっていった。

 私の問題は就職であった。経済不況や氷河期世代だというせいにしてみても、現実は何一つ変わることはなかった。日々悶々とし、90年代後半から2010年代まで、フリーター、不安定な身分を凡そ15年近く続けた。もちろん、続けたかったわけではく、それしかなかったというのが現実的な選択肢であった。三十を過ぎても、履歴書にかける職歴といえるものもなかった。藁にもすがる思いと表現したらよいか、当然、すがる藁もなかったし、正規雇用になったことは一度もない。スーツを着た経験も、成人式と冠婚葬祭くらいでほとんどなかった。しだいに親戚とあうことも、友人と会うこともなくなっていた。ただ、「このままで終れるものか」という思いも、どこかではあった。心のどこかで燻り続けながら、三十代後半になって起業、自分で自分を雇えばいいと考えた。どうせなら、自分と同じような境遇、あるいは困難にあるなかで、日々おもいを抱えている人に、僅かばかりでも光が差し込むような、なにかできないか。以前記したように、教員を志した時の心境と似ている部分があったが、未知の部分もあった。だが人生の紆余曲折、失敗、岐路、常にその連続、それによってみえたものが少なからずあったのも事実だ。

 未来に希望を持てず、悩み、落ち込み、ふさぎこんでいる人に喫緊の優先事項として必要なのは、自己肯定感を感じることでも、自己有用感を獲得することでもない。事態はもっと切迫している。昨年10月に書き下ろした論考「50-80問題を語る、その功罪」でも触れたことだが、専門家や有識者が、講演会などで困難に直面している人への認識を訴え、問題認識を促すことは、社会における啓蒙的側面において有益であっても、喫緊の状況に迫る当事者にとっての優先事項としては不十分であることは指摘した。今、苦しんでいる当事者、例えば「50-80問題」なら、もう考える時間はない。「もっと苦しみが軽いうちにやってくれないか」というのが当事者の本音であり、論理的な状況把握に即効性はない以上、個人の努力ではどうにもならない。私自身の経験を含めて参照し、未来の世代の類似性を帯びた問題に当てはめてみれば、いつかの机上の空論がまた一つ増えるにすぎない。現実を生きる当人の関心は、「明日のご飯をどうするか、明日、どうやって生きるか」しかない。

 

 とすれば、社会によって下を向かされるなか、卑屈な感情を強要されるような制限された社会から解き放たれ、自分らしく生きるための手がかりをヒントに、具体的な術を獲得することが何より重要なことは自明である。求められるのは具体的な展望である。ロストジェネレーション取り巻いてきた現実に関する啓蒙により、社会における状況認識及び理解が進展しても、次の日から当事者が四半世紀及ぶ懸念事項から解き放たれ、安心してご飯を食べていけるわけではない。もっとも、ロスジェネがマイノリティーと定義できるかについては、聊か議論の余地があるが、こうした論理の氾濫によって、何らかの生きづらさと向き合っている多様なマイノリティーの現実に根ざした同質の問題、その本質を捉えたとき、状況が再生産されていくこと自体への懸念、その萌芽に対する懸念を問題の中核とすべきではないだろうか。

 

 2021年現在、コロナを契機として時代は混沌としてきている。そうしたなかで、複雑に絡み合った問題を抱えてきた20年前のわたしの、いつかのわたしの系譜が、2021年のわたしに鋭いまなざしで、そう訴えかけてくる。繰り返しになるが、大事なことは分かりきっている。いくら議論が深まったところで、会場を後にした当事者が、ご飯を食べて安眠できる術を、その場で手に出来るわけではない。“明日の一日を健やかに送れるか”シンプルな問題である。就労もその手段の一つに過ぎない。

 

 「生きるために働くのであり、働くために生きているわけではない。」20代、不安定な日々、将来不安を抱えてそんなことを考えていた。時を経て若者と対話するなかで、若い世代のおもいに、それを再び感じることが多くなった。そして、「生きるためにどうしたらいいのだろうか」とふさぎこんでしまうこともある。けれど、「生きる道を創り出すのだ。」わたしたちの仲間の関心も、きっとそこにあるのである。ゆえに、わたしたちはマイノリティーとして孤立し、苦しんでいる人たちとともに、自分たちの手で未来のかたちを創出することや新たな価値観とともに、それが標準となる時のための種をまく実践を重ねている。こうしたなかで制限された選択肢に悩みに、気づいている人たちとともに、“働く”ことを通じて、マイノリティーの可能性を大きく広げることが重要であるとするならば、わたし自身をも含めて課された仕事は、当事者の理解を広げ、差別や孤立をなくす見解を出すではなく、当事者が自立できる具体的なゴールのモデルを創りだすこと、その具体的な方法を模索し、実践を重ね続けることなのだろう。

 これまでの経験を生かして、心の地平線、未来を、可能性を創り出すために。自立へむかえば、やがて差別や孤立はなくなっていく。自由が広がり、気兼ねなく差別や孤立する環境で、我慢する必要はなくなっていく。そんなふうにおもっている。

 「過去をみつめて、やがて未来を創るために」

 

 若者たちだけではない普遍的な問いであると同時に、わたし自身の問いでもある。

 

 2021年、年が明けて2週間が過ぎました。皆様、今年もどうぞ宜しくお願いいたします。


2021年01月14日

「50-80問題」を語る、その功罪

 対話、コミュニケーションが希薄な社会で、人との関係を作れないことに悩む若者たちや、後輩教員たちの相談を受けることがよくあります。しかし私がそうした質問に、うまく答えられているかは実際には定かではなく、現実的には、うまく答えられることもあるけれど、必ずしもうまくやっているわけでもない。ただ、これまで就労、教育研究の場を中心に、“数多くの失敗”をしてきたこれまでの私の人生岐路が、“成功のための叩き台”として機能し、人生における“失敗例の数々”を、先学としての教訓とするなら、極めて多くの事例、豊富な経験を有しているといえるかもしれない。そのなかで難しく感じるのが、相手の心に向き合うことで、これが一番難しいことであると思う。会話をすればいいと思うが、これは簡単なようで難しい。対話とは“真の言葉”を交わしていくことで成立するものだけれど、これは、そう簡単にはいかない。

 その理由は、常に相手との距離、対話、心の距離や信頼関係があるからである。どこかで建前や予定調和、その場限りのやりとりとなれば、相手の心は決して動かないものである。そして相手の感情に最大限に向き合い配慮をしなければならないといっても、それも適切にできているか定かではなく、無論、結果が付いてくるか定かではない、みえないものである。ただこれまでの経験からいえることは、悩み事を取りまいている本質は、さまざまな課題が入り組み、それぞれの直面している固有の現実に深く根ざしていて簡単ではないが、たとえなかなか解決できないとしても直接的に関わり、その一瞬、その瞬間、その問題に、真摯な態度で向かい合うことで、新しいなにかがはじまるとすれば、決して無駄なことはないともいえる。これまで、仕事とプライベートのなかで、人と関わり、いろいろな立場の人と向き合ってきたけれど、振り返れば、いろいろな悩み事を聞いてきたというよりも、悩み事を目撃してきたと表現したほうがよいかもしれない。簡単には当事者の直面する問題を解決することができない。だからこそ、解決に向けて、向き合い続けてなければならない継続性が問われるわけである。


 誰にも知られたくない悩みについて語る際、どんな人にも人権、尊厳があることへの配慮への議論がある。そこで今回の本題は、当事者以外が当事者を取りまく問題を語る功罪である。尊厳に配慮することは、当事者において誰にも知られたくはないものへも当然のこと含まれる。例えば、福祉現場の周辺でも、有識者を招き「当事者と向き合う○○」とか、氷河期世代の新たな問題、「50-80問題の本質」とかいった講演や学習会が催され、“当事者の現実を知る”“問題点を考える”とかいうようなワークショップやシンポジウムが、いくつもあったりする。実際に、私が所属する関連の学会でもよくある演題である。そうした取り組み自体をすべて否定するわけではないが、そのなかでロストジェネレーション世代以外が、力説している場面に遭遇することもある。しかし、こうした状況について、あえて厳しいことをいってしまえば、「当事者抜きに、当事者に対する尊厳を含んで、評論的な立ち位置で一般論を援用し、問題意識を論じるものが集まって、本質的な問題の解決のために取り組んでいることが、現実的に、具体的に、しかも可及的速やかに、当事者ないし当事者世代の実情の打開に資する支援策となるのであろうか」という点では、大いに疑問が残るのである。こういってしまえば、研究者の端くれとしては、もはや自己否定のようにも聞こえるが、私自身が研究界隈に身を置き関連しているからこそ、学問上、研究上の業績が、皮肉なことに“当事者不在”かつ理論先行の“机上の空論”になりがちであることが、多々あることを目撃しているためで、こうした陥穽は、実現性に乏しい非現実性を生み出し、本質の解決を疎外する盲点として突きつけられる問題である。

 事実、こうした問題は、一般的にマイナーな学問領域だが、同時代を歴史学の手法を用い研究する学問領域の現代史学分野において、有名な“昭和史論争 ”なる論争があり、この論理の典型的事例として指摘できる。この論争は、当事者不在の議論による、当事者疎外の矛盾点を突く事例である。「昭和史論争」は、昭和という時代の総括に起因する主題で、ことの発端は、昭和30年に岩波文庫から刊行された遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』(岩波書店、1955)で描かれた“昭和”というものが、“そこに確かに生活していた人々の営為が全く描かれずに置き去りにされたままの、当事者が不在のまま総括されて、国家や制度から論じられていく”、歴史学の手法に対する亀井勝一郎の問題提起にはじまる論争であった。こうした提起を受けて、歴史学者たちは、その他、歴史学者などの反論を“止揚”するかたちで、初版は絶版となり、改訂版として遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史〔新版〕』 岩波書店〈岩波新書(青版)355〉、1959年が刊行された経緯 がある。

 もっとも、シンポジウムやワークショップにおける“啓蒙や啓発”問題関心“の普及という活動は、関心のある者たちによる状況の把握、情報の入手先として有益で、その意味では一定の評価はなされるべきである。だがここで、ベクトルが異なる問題点が浮上する。もっとも評価できる点として、参加する人や関心のある人は、当事者やそうした立場に理解を寄せるサポーターで、演題に関心を寄せ、解決していかなければならないという意識を共有しているので、啓蒙や啓発という視点では、半ば目的を達成している。そしてシンポジウムの”情報通“から“情報や知識”を効率的に仕入れる機会、さらには関連書、最近は新書も手軽に入手でき、専門書を参照すれば、さらに情報の精度も上げられるというように、啓蒙、問題点の普及において、問題解決への糸口として重要な役割を果たしているといえる。

 だが一方、デメリットも存在する。「昭和史論争」のように、問題関心が、“取り上げる側によって偏ってしまう”ことが指摘できる。実際には、“当事者がどのように置かれている”かということは、当事者の数だけ“状況”が異なり、困難に直面している人の数だけ存在し、上述のように開催する意義はあるものの、ワークショップやシンポジウムで取り上げられる数、程度では、判断、理解において、まかないきれない問題がある。ワークショップやシンポジウムなどでは時間的制約もあり、性質として偏ってしまうことは仕方のないことではあるが、現実的には個別的ケースで、それぞれの個の人生の多様な帰納法的問題の集積を、演繹的なベクトルとして落としてしまう、捨象されて早合点してしまう性質の問題が浮かび上がることは指摘できる。

 即ち、それぞれが求められる必要な支援の質も、リアルタイムで無数の事例で異なるなか、議論で共有した問題は、すでに過去の遺物となる場合がある。それを解決するのは、当事者の現実と日々出会い、個々に異なるシビアな現実を、目撃することしか具体的な解決の糸口は掴み出せない。それも納得の行く形で見つけ出せるかはわからないものである。いずれにせよ、冒頭にふれた直接的な対話に乏しい状態で、“机上の空論”の拡大によって、問題関心の公約数、総意が、演繹的に導かれたとしても、かつての昭和史論争のように、“人々のここの営為、言われえないような問題”が抜け落ちてしまう危険性があるといえるのである。

 なぜいえるのか。それは、私自身が“氷河期世代のど真ん中”の世代であり、10年先にある、ロストジェネレーション周辺にある「50-80問題」の当事者であるために、一当事者としてとくにいえることである。もちろん、私の事例が、その本質の全体を要約しているわけではない。私の事例は、90年代後半から2010年代まで、不安定な雇用で生活をつないでいた身で、院に進学したが、最初の“就職に失敗”し、研究における雇用の調整弁のような身分で食いつなぎ、非正規の悲哀とともに、日々を悶々と生きている中、平成時代の半分くらい、“未来に光明がみえず”に過ごしてきた経緯があり、ポスドクで光明がみえない友人もたくさいんいた。そうしたなかで若い頃、正規雇用の友人たちがとても眩しく感じた。20代前半、今思えば複雑な気分で、将来への期待と不安が渦巻いて寝付けない夜も多かった。苦しかったが、“そうは感じていない”ように装い、自分自身は問題がないかのように振舞っていたが、当時のルールは、自身の問題としての議論が優勢で、“自己責任”で済まそうとする時代であった。当世代ならば少なからず、雇用制度や構造的欠陥に翻弄された経験、いい知れぬ過去、そして、そこには当然、人としての人権、尊厳があるものである。

 “自分探し”という表現や、その帰結として“自己責任論”として刷り込まれた時代に、「勝ち組、負け組」ということばに象徴されるような無常の世界が、「時代のルール」とされるなか、当時、「新自由主義」体制が、市民社会の目指す総意として、社会の構成員による公正な選挙によって、“社会の正義”とされ、合法的な手続きによって肯定化されたのだから、その意味では仕方がないのかもしれない。多数決による正義とは少数派にとっては残酷な結果を導き出す。大げさかもしれないが49%の正義は、合法的に切り捨てられているのである。ここに福音の配分における非平等性をして、操作できる民主主義なる制度の限界があるといえる。だが未成熟な正義の、そのしわ寄せは、2000万人の世代人口のロスジェネレーションの抱える「50-80問題」として浮かび上がるのは、早晩自明なことで、社会が問題から逃げても、現実は追いかけてくるものである。こうしたなか、シンポジウムや学会などで、“身分の保証された”有識者たちが、懇切丁寧に熱弁をふるって、“自分自身の関連する問題”であるとして、当事者たちと議論や問題関心の共有がなされていると理解したとしても、現実として、困っている人たちの心で共感されているかはわからないものである。生活への福音となるのが実際に、“いつなのか”は定かではないし、またそうした福音が“実現されるか”すら”定か”ではないからである。この25年間に及んで、この問題の芽は常にあったが、掛け声先行のきらいがあった印象がある。ともあれ実態の改善に乏しければ、当事者の心に響くわけはない。指摘されても解決できていない社会の構造的問題であったからこそ「就職氷河期問題」が、「50-80問題」として就職から親の老後を含んだ問題へとマイナーチェンジした面もあろう。いずれにせよ本質的に、ロスジェネを取りまく社会問題が、四半世紀にわたり解決をみいだせない背景としてあるのは、当事者の実情に寄与する中身が不在で、あるいは意図的な不在による「建前」の論議で現象として済まされてきたことなども、問題の本質が改善されてこなかった証左といえよう。近代市民社会において、正当な民主主義の手続きを経て、「新自由主義」体制によって生じた雇用構造的な宿命に起因する特定の世代を取り巻く問題が、それを作り出してきた民意や社会の構成員によって論じられるのであれば、自己矛盾、いいかえれば自己否定もはなはだしいといわざるをえない。
 
 10年に1回くらい、氷河期世代を救済するための公務員の募集に氷河期世代枠として150名程度の枠が設けられるが、そこで1万人の応募があったという現象は、ここ20年で2~3度くらい目撃している。1万人のうち9850人は現状のままという事である。もっとも国や行政としても“やっているんだ”感は出しているが、こうした取り組みが凡そ25年間、“雇用の調整弁”として苦しんできた人たちに届くかどうかは、全くもって定かではない。民主主義国家の限界として語るならば、選挙権を持つ市民の総意が、矛盾した制度を創り出した責任であるから、現実的に要請されるべきなのは、翻弄された者たちの立場に寄り添う意識より、社会保障も含めた施策、“現実的には、ちゃんと生活出来るような仕組みが早急に出来るか”という具体策を打ち出していくことであろう。私たちの法人や志をともにする就労系の法人は、微力ではあるが、困難な状況におかれた人たちの尊厳と自立のために、そして一人でも多くその目標を実現するために日々、具体策と向かい合っている。私個人としては、真に困っている人にはなかなか届かないような正義の背後にある世の中の矛盾を上げればきりがない。忖度しあって、手前勝手なやった感を醸しだしていれば済むかのような、建前ばかりの正義に辟易しているわけである。

 福祉制度もその一つである。分かりやすくいえば、この制度は「その人が助けてといわなければ、助けられない」という解釈をする人が多いらしい。もっとも制度の運用の手続きとしては、それも正しいのかもしれないが、物事の本質を解決するには、実際には不足している概念といえよう。実際には困っていてもSOSを表明しないひともいるからである。制度を運用する上での合理性として必要要件を満たしても、充分要件としては全く物足りない。制度を逸脱したところでもがいている人は”いない”こととされ、素通りされているからである。であれば、単に結果としてみれば、「助けられないのではなく、助けようとしないだけ」であるという”結果が出ている”ということに過ぎない。現実的にはまったく変化がないのである。それを悪用した、確信犯的なひとたちも一定数存在する。深読みすれば不利益に深入りしないようにして忖度し合っているようにしかみえない。

 法や制度を作り決めるのは市民社会の構成員だが、人は間違える動物なのであり、それも厄介なのは、意図的に間違えるフリをする人もいることであり、ゆえに法や制度は、不完全なものになる。法や制度は正義ではあるが、これが唯一の正義で、万能の剣と解釈することは危険なことであり、市民はリーガルマインドを意識して法や制度を、時代の実情に即して精査しなければならない。至らなさや、そこで埋もれている矛盾によって素通りしてしまうことを減らすためにもである。法による統治や正義は、人権を保障するための万能の剣でなければならないが、それを逸脱して運用されることもあるのが現実で、法の限界、統制できない問題もある。その現実の形として浮かび上がってくるのが「50-80問題」に象徴されるような社会病理、さまざまな問題群である。

 

 口先だけでいくら分かったかのようなことをいっても、実際の生活へ寄与しなければ、当事者にとっては、何ら意味もないことであり説得力はない。相談が難しいのは、それを含んでいるからである。たとえ啓蒙が進んだとしても、それだけでよいわけではない。実際に当事者として実際の生活に恩恵や変化がなければ、社会の認知、理解が進んでいるのに、「むしろ、なぜ解決されないのか」として、当事者はさらなる「猜疑心」や「孤独」に追いやられ、精神的にもより追い込まれていくだろう。個人の尊厳が、みえないかたちで深く傷ついていくことは自明なことである。誰にでも、触れてほしくない、思い出したくもない過去がある。未来への希望は、この瞬間の安堵が連続していくことでしか成立はしない。こうしたなかで具体的な解決や取り組みについて仕事としない評論家や有識者たちが職業として、「斯様な状況は問題であるから、周知を深めなければならない」といった問題提起に止まり、あたかも当事者目線で、「語る、功罪」は、私たちの日常に氾濫する、もっともらしい大義名分と、偽りの連帯感を醸しだす温床ともなりえるだろう。

 


2020年10月25日

侵食

 普段、他者との関係性の希薄化した社会に埋もれ生きていると、日々の色々な感覚が、何時の間にか過去の価値観へと侵食し、無意識に近い形で置き換わっていることに、はっと気づくことがある。私はセブンイレブンにいくことが多いのだが、コンビニの最先端でどのようなものがヒットしているのかを改めて意識しないまでも、生活の価値観として少しずつ、無自覚的に侵食されているようなそんな感覚である。商品開発部からみればしてやったりといったところだろう。例えば、チューブの大根おろし、鮭の切り身、冷凍のとろろから進化してパックのとろろ、と便利さの極限ともいうべき商品が、めまぐるしく変化するニーズの要請によって“所狭し”と日々進化し陳列されている。ことばで表現するならば、“煩わしいものが煩わしくないものへと刷り込まれていく”というようなものである。もっともコンビニエントは「便利さ」という意味であるから当然の帰結で、新たなスタンダードとなることへの肯定的な要素は多いが、その点ではプライバシーの保護、個人情報保護法、携帯電話の普及、パーソナルを充実させるための理想的な概念を具現化していく数多の過程と同様、人と人、点と点を繋ぐソリューションの発展は、市民の権利の伸張を実現し、文明的進化、科学技術の恩恵によってもたらされている帰結として捉えられる。

 しかし、こうした事象を、就労のあり方に関連させて位置づけてみると、必ずしもよい面だけがクローズアップされるのではないことに気づく。便利さを求める背景として、便利さが求められるのは、言い換えれば、“なんらかの余裕のなさ”から派生している”起源の要請”、つまり時代の宿命としての産物であり、そしてそれを構築し維持している人たちがいることを意味する。

 そうした“なんらかの余裕のなさ”は、一体どのあたりに起因しているのだろうか。それは、今から四半世紀前の1995年5月、経団連によって発表された「新時代の日本的経営」の報告以後のベクトルによってその概観を回顧することができる。それ自体を今更、時代の後知恵として改めて再評価する必要もないが、“柔軟な雇用を生み出すための装置”としての機能については、これまで多くの先学が指摘されている周知の事実である。ただし「柔軟さ、多様性」といった記号によって象徴される新時代の価値観が洗練されていく過程について、それらをよい意味で肯定的な価値観としてみることはできる。例えば福祉用語などで代弁するならば、「ノーマライゼーション」、「ユニバーサルデザイン」、「ソーシャルインクルージョン」といった、市民社会における未来への希望、その前提である普遍的な価値を示すような記号に置き換えられることも可能で、そうした価値は“人権意識”の高まりとともに、多様な生き方の尊重、ライフスタイルの“多様性”といったことばとともに、時代の先進性として収斂されて、昇華されていくことは自明なことであった。

 こうしたなかで、就労分野に焦点をあててみると、否定的な意味合いも含んでくる。非正規雇用の増加については、「半沢直樹」で記憶に新しい池井戸潤の「ロスジェネの逆襲」でおなじみの氷河期世代を中心に、いわゆる「フリーター」なるものが、この時期に増加したが、当該世代を「雇用の調整弁」として機能させたのは、柔軟な雇用であり、多様な雇用のあり方であった。否定的な記号として用いられることになる「柔軟性」や「多様性」は、こうした文脈においては、こころない新自由主義の体現者たちによって、結果として、当時の若者たちは低所得と不安定な身を余儀なくさせることになった。時代の絶対的ルールが、“多様性の尊重”という言葉へとまろやかに浸食し、多様なライフスタイルの一つの帰結として、たとえば「未婚、非婚、晩婚化」というような言語化がなされ、さらには「おひとりさま」など現象を肯定化するように派生した多くの言語化によって表現されるようになる。かつて、「年頃になれば結婚するものだ」というような従来型の価値観の変化は、あたかも“若者たちの文化や価値観によってもたらされた”ものであるかのように錯覚しがちであるが、原因の帰結としての結果群、相対的な実態に視点を移せば、作為者たちは、希薄化した社会をうまく活用して格差をつけ差別化し、無作為にみえる作為により他者を虐げる状態を、時代を創る神が導く道理とでもいうように、無関心の集積へと追いやることによって、その恩恵を預かる向きを代弁する数多の「御用達学者」たちによって強化している。

 

 経済学者の森永卓郎氏が2003年に「300万円時代を生き抜く経済学」を出して半信半疑のようなインパクトでもって話題になったが、2020年には「200万円時代でも楽しく暮らせます」とされている。彼は、”時代の兆候”を的確に捉えて、弱者をさらに追い込む象徴的な状態を代弁しているといえよう。これに対して作為者たちは、不満をより下方へ平準化するために受容限度を徐々に下方修正し、消去法的に模範解答として示していくので、みな価値観の変化を余儀なくされ続けている状態にあるといえる。こうした論理は、不景気の時代に突入するやいなや、正当性を主張するチャンスとばかりに過去の時代では、いつのまにか“自己責任論”というキャンペーンが張られて既成事実化し、そうした論理的帰結によって「勝ち組、負け組」という言葉が自然な形で生み出された。そしていつのまにか”疲弊したなにか”として選択肢はないまま強要され消化されていくという流れである。

 人間関係の枯渇した現代社会において、人々を覆い尽くす疲弊した諦念、余裕のなさ、焦燥感、ルサンチマン、やり場のない感情の数々、そして、外への感情だけでなく、内に向かうのやり場のない感情は、やがて自身を傷つける行為へと昇華することもある。それらは、時代への悲観とともに連鎖的に、時が経過するなかでひっそりと増幅していく。誰でも未来のみえない絶望の淵に置かれれば、ひとは孤独に苛まれて孤絶へと向かうことは、至極当然のことである。青天の霹靂ともいえるコロナの時代の到来によって、先がみえない状態がつづいているなかで、相次ぐ芸能人の自殺に向かうものが、それぞれの固有背景に由来するものであるとしても約すれば、そうした未来への絶望の象徴、証左として増幅されて起こっているようにも感じられるのではないだろうか。

 斯様な状態を強いられている人たちは、歴史を参照すれば、いつの時代においても存在していた。例えば法律家でブラジル人の教育学者であるパウロ・フレイレは、「制度化された身体」として警笛を鳴らしている。それに打ち勝とうとするフレイレの実践は、その後、大資本家のご機嫌を損ね、国外に追放されてしまうことになるが、関係性の希薄した社会でも、フレイレのように誰にでも届く“放されない手”はきっと存在する。それがたとえ巧妙に、それに出会うことを妨害され、意図的に妨げられているとしても、必ず、みている人は存在するものである。ならばこそ、このコロナの時代、芸能人や音楽人の訃報が相次ぐことで象徴される社会において、絶望の淵のなかで、明日への希望を届けるために、一体なにができていないのかということをやはり意識しなければならない時期に来ているのだろう。就労のあり方を通じて、「働くとは一体なにか」ということ。日々便利さのなかでみえにくいもの、それが実現されている向こう側において、なんらかの諦念が渦巻き、疲弊し閉塞した社会の点と点では交わらない世界の潮流を、少しずつでも捉えなければならない時機に来ているのではないだろうか。

 

 従来的な働き方の受容、あるいはそれへの無意識的な侵食は、そうであるべきであるという刷り込みによる制度や固定観念によって当然視され、その被害に気づくことも少ない。いいかえれば、それ以外の選択肢を合法的に奪われ、未来への可能性を限定され、最初から除外されて「制度化された身体」として実を結ばされている。疲弊し閉塞した世界の内実は、こうした矛盾が縦横無尽に張り巡らされ、侵食されることで実現された虚数的な世界と同義であるといえるだろう。

 

 FRは、柔軟な労働観を通じて、新たな働き方や心のあり方をもとに、この時代をしぶとくしなやかに乗り越えようとする未来におけるコロナ時代の先駆者とともに、新たな時代に対峙するために、従来型の矛盾に満ち限定された価値観に侵食されないように、未来のためのアイテムを増やすためのアシストを行っている。

2020年10月21日

関係性の希薄な社会で

 一般社団法人FR教育福祉会では、FRの設立理念と同じ志を持つ団体とともに、各種研修の一貫として、テーマ別の共同学習会や意見交換会を定期的に開催している。今回は不定期会合の扱いではあるが、「リーガルマインドー制度と契約ー」という演題で、事務手続きに関する意見交換会を中心に開催した。参加団体が広域であったため、関係者の中間に位置するFR本部で行われた。参加団体は東京都にある生活介護、県央に事業所を展開する就B、市内の就B、又市内の相談系の施設など各立場による複数関係者、県外自治体も含めて5つの団体が意見交換会を開催した。

 ちなみに次回定例会は、来月の講演会の後、共同学習会を開催する運びとなっている。内容については後日、当ブログでアップするのでご期待ください。

 話は戻って、今回のテーマは、各事業所においても共通する内容であるので、かなり現実的で、シビアで闊達な意見が上がった。今回は、普段の「直接支援とは全く関係のないテーマ」で、法律や規則に基づく事務手続きに関する各事業所における対応について、複数の視点で捉えて、浮かびあがった問題点などを元に議論し、一般的事例をもとに詳細な検討が行われた。要約すればリーガルマインドは空気や水のように私たち社会に欠かせない正義の剣であるということだ。そこで会合に集まった事業者において、書面は重要であるということを再認識した。だが代償として書類の洪水に直面するという状態は避けられない。いろんな部署を監督する立場の上位機関は、さぞかしご苦労が多いことか、電子書類化が進んでいるであろう昨今、紙面処理は少なくなっているだろうけど、すべて電子化はできないだろうし、そうなると置き場所もとる。とくに行政機関などでは、私たちの扱う書類の量の比ではないだろう。各方面で不始末も多い昨今、紙では書類の洪水になるはずで、その管理をおもうと、「ご苦労様です、ありがとうございます」としか言いようがない。ともあれ、他の各事業者においても不合理、制度の限界や狭間で色々な問題に直面しているようだ。私自身、教育学を軸に、人文社会科学分野の横断的な研究者でもあるが、所属学会の研究発表で問題提起してもいい内容も多かった。

 閑話休題、お堅い話を離れ、最近、気になっている音楽の話。80年代を代表するギタリストであるエディーヴァンへイレンが亡くなってしまったが、いまだメンバーが健在で、70年代の音楽シーンで活躍したバンドに「The Feces」という英国のロックバンドがある。とにかくメンバーが豪華である。ヴォーカリストはロッドスチュアート、そして後に「ローリングストーンズ」のギタリストになるロンウッド、さらに「The who」のドラマーになるケニージョーンズとビックネームばかりである。だがその中に蒼々たる顔ぶれのなかで短期間ではあるが、唯一の東洋人である日本人のベーシストの山内テツがいる。山内テツは、ローリングストーンズのキースリチャーズを交えたステージで、チャックベリーの名曲「sweet little rock‘n’roller」の演奏もしている。世界で活躍している日本人は多いが、音楽シーンであまり話題にはならない。しかし50年近くも前、世界の音楽ヒーローたちの中で、活躍していたミュージシャンがいたこと、CDのジャケットをみると、ロッドやロンとテツがふざけあっている写真があったりして、なんとなく誇らしい思いがしたのであった。西洋社会において日本人は「名誉白人」であるという称号がある。もっともこの時代のルールからみれば、それ自体、「差別的な表現」である気がするが、ともあれ「臥薪嘗胆」、「イエロペリル」、「黄禍論」などの歴史用語を振り返れば、いつの時代も白人より下に位置するそんな有色人種の位置づけのなかで、3人がふざけあっている姿をみると、同じ人種でも関係性の希薄な社会で、そんな「称号」は、結局は単なる薄っぺらい記号に過ぎず、本質を示すには安っぽく言葉にすれば陳腐なものであるとに気づかされる。もっといえば、相手のことを尊重し、人権意識に富んだように表現であるかのように錯覚するが、人と人の個人的な関係性の表層を機械的にオートマチックに象徴する言葉であるとさえいえよう。言葉だけが立派で独り歩きすれば「名誉」とあるのだからと、なんとなく説得的に聞こえても、本質的には分けている時点で、とてつもない距離がある。人と人との関係性は、常識、慣習、人種などで、カテゴライズすることはできない。人と人それは本来、言葉では表現できないような感覚、計り知れない関係性の豊かさがあるのだろうとおもっている。(おわり)


2020年10月17日

今週の出来事

 今週はエディ-ヴァンへイレンが亡くなったという一報が入った。なんともショックである。竹内結子の訃報もそうだったが、今年はなんとも残念なニュースがつづく感じがする。謹んでご冥福をお祈りしたい。そうしたなかヴァンへイレンのCDを久しぶりに聞いていたら、隣にあったジャムというバンドのCDをみつけ、こちらも久しぶりにかけてみた。

 

 高校1年の頃よく聞いていたのは「TheWho」というロックバンドであったが、そのフォロワーで70年代後半から80年代にかけて活躍した「TheJam」というイギリスのバンドに心を惹かれていく時期があった。特に好きだったのは「悪意という名の街」という曲である。モータウン系のリズムを取り入れて軽快に進んでゆくこの曲は、その軽快さとは裏腹に、社会の片隅で明らかになりにくい厳しい現実に打ちひしがれ、恨めしそうになりながらも決して諦めず、一縷の希望をもって進んでいこうとする若者の躍動が、軽快なリズムによって増長されていく。そんな曲である。日々、経営という仕事をしていると、矛盾に満ち汚れた権力と野望に翻弄される、そんな理不尽な状況に晒されることがある。

 この世界は正義という名の仮面の下で、決して見過ごしてはならなく、許されるべきではない行為が、あたかも正義であるかのように大手を振るっている。彼らは巧みな大義名分を駆使して結託し、隠された悪意を押し通そうとしていく。他者の立場などどうでもよいかのように、、。理不尽な世界に直面している人たちは、この世界に沢山いる。誰にも気づかれない、そんな時もあるだろう。だが諦めるなかれ、運よく正義の楯に救われることがあるかもしれない。いや運よくではなく必然的に救われるだろうといっても過言ではない。私たちの社会には正義と真実を尊重する物差しと天秤が張り巡らされている。悪意の目論見は、成熟した市民社会の正義によって必然的に駆逐されていくことになるものだ。誠心誠意尽くしていれば、きっと誰かがみていてくれて手を差し伸べてくれる。私たちの社会には、法の下の平等という正義と未来への希望がある。そんな風に感じた一週間だった。応援してくれるすべての人の恩に報いるために、未来に少しでも多くの希望を繋げていくために、これからも日々まい進していく。

「Cos time is short and life is cruel but it's up to us to change this town called malice.change this town called malice.」By Poul Weller

「あっという間に時は過ぎるものだ。そして人生は悪意に満ち、悪巧みをして苦痛を与えても平気なやつもいて残酷だけど、でもこの街を変えるのは俺たちにかかっている。この悪意という名の街を、、」

2020年10月11日
» 続きを読む