過去をみつめて、未来を創るために
「過去をみつめて、やがて未来を創るために」
普段、利用希望のとくに若者たちの悩みに向き合う機会が多いことについては、以前にもこのブログで少しふれている。悩みは様々、学校の人間関係、大学のミスマッチ、就職のミスマッチ、職場の人間関係の問題などの問題を抱えて不安な日々を送っている。時に初対面2時間、話しこむこともある。それぞれが切実な問題を抱えて、そこに向き合うなかには、私自身がいつの日か経験してきた葛藤もあることだろう。若者にとって人生における葛藤とはいったいどんなことだろうか。時の経過とともに、感性も鈍くなっている(年齢とともに、感性はおとろえてはいるだろう。)とすれば、平成10年代生まれの若い世代と、どのくらい真の意味で対話できているか分からない。ただ若者の気持ちをいつかの自分自身と重ね合わせて振り返れば、同時代史的な経験則で、いつの時代にも通じるものがあることも確かである。(そしてなにより気持ちは若いつもりではある。)若い頃の悩みは混沌と漠然としていて、やり場のない鬱蒼とした感情、焦燥感、未来への期待と不安、思い描いていた理想の自分と現実、いろいろな種類の葛藤があったことがよみがえる。
将来への展望を描くなかで、思い描く自分像と社会における実情とのギャップに突き当たることは、誰もが経験していることである。この葛藤についての向き合い方は様々で、理想をみつめて戦う意欲に満ちあふれる人がいる一方、厳しいと感じる社会の現実にくじかれ、自分が自分でなくなるような、喪失感、諦念、そんな感覚にぐるぐると囚われて、不安になるそんな感じに苛まれる人もいる。若い頃の私自身を振り返れば、どちらかというと後者であった。今から20年近く前の2000年初頭、社会、とりわけ同世代に置いていかれるような、そんな感覚が20代前半であったことを思い出す。現実を閉ざしてみようとしなければ、それも決して楽なことではなく、みたくもない現実が後追いしてきて、無関心を装ってみても、引っかかるものから自由にはなれなかった。少し前向きな意識で、現実との妥協点を探してもなかなかみつからない。心と現実のすりあわせを何回も重ねながら、周りの景色だけが移り変わり、いつしか、すり合わせもうまくいかなく、周りとの差もわからないくらいになっていった。
私の問題は就職であった。経済不況や氷河期世代だというせいにしてみても、現実は何一つ変わることはなかった。日々悶々とし、90年代後半から2010年代まで、フリーター、不安定な身分を凡そ15年近く続けた。もちろん、続けたかったわけではく、それしかなかったというのが現実的な選択肢であった。三十を過ぎても、履歴書にかける職歴といえるものもなかった。藁にもすがる思いと表現したらよいか、当然、すがる藁もなかったし、正規雇用になったことは一度もない。スーツを着た経験も、成人式と冠婚葬祭くらいでほとんどなかった。しだいに親戚とあうことも、友人と会うこともなくなっていた。ただ、「このままで終れるものか」という思いも、どこかではあった。心のどこかで燻り続けながら、三十代後半になって起業、自分で自分を雇えばいいと考えた。どうせなら、自分と同じような境遇、あるいは困難にあるなかで、日々おもいを抱えている人に、僅かばかりでも光が差し込むような、なにかできないか。以前記したように、教員を志した時の心境と似ている部分があったが、未知の部分もあった。だが人生の紆余曲折、失敗、岐路、常にその連続、それによってみえたものが少なからずあったのも事実だ。
未来に希望を持てず、悩み、落ち込み、ふさぎこんでいる人に喫緊の優先事項として必要なのは、自己肯定感を感じることでも、自己有用感を獲得することでもない。事態はもっと切迫している。昨年10月に書き下ろした論考「50-80問題を語る、その功罪」でも触れたことだが、専門家や有識者が、講演会などで困難に直面している人への認識を訴え、問題認識を促すことは、社会における啓蒙的側面において有益であっても、喫緊の状況に迫る当事者にとっての優先事項としては不十分であることは指摘した。今、苦しんでいる当事者、例えば「50-80問題」なら、もう考える時間はない。「もっと苦しみが軽いうちにやってくれないか」というのが当事者の本音であり、論理的な状況把握に即効性はない以上、個人の努力ではどうにもならない。私自身の経験を含めて参照し、未来の世代の類似性を帯びた問題に当てはめてみれば、いつかの机上の空論がまた一つ増えるにすぎない。現実を生きる当人の関心は、「明日のご飯をどうするか、明日、どうやって生きるか」しかない。
とすれば、社会によって下を向かされるなか、卑屈な感情を強要されるような制限された社会から解き放たれ、自分らしく生きるための手がかりをヒントに、具体的な術を獲得することが何より重要なことは自明である。求められるのは具体的な展望である。ロストジェネレーション取り巻いてきた現実に関する啓蒙により、社会における状況認識及び理解が進展しても、次の日から当事者が四半世紀及ぶ懸念事項から解き放たれ、安心してご飯を食べていけるわけではない。もっとも、ロスジェネがマイノリティーと定義できるかについては、聊か議論の余地があるが、こうした論理の氾濫によって、何らかの生きづらさと向き合っている多様なマイノリティーの現実に根ざした同質の問題、その本質を捉えたとき、状況が再生産されていくこと自体への懸念、その萌芽に対する懸念を問題の中核とすべきではないだろうか。
2021年現在、コロナを契機として時代は混沌としてきている。そうしたなかで、複雑に絡み合った問題を抱えてきた20年前のわたしの、いつかのわたしの系譜が、2021年のわたしに鋭いまなざしで、そう訴えかけてくる。繰り返しになるが、大事なことは分かりきっている。いくら議論が深まったところで、会場を後にした当事者が、ご飯を食べて安眠できる術を、その場で手に出来るわけではない。“明日の一日を健やかに送れるか”シンプルな問題である。就労もその手段の一つに過ぎない。
「生きるために働くのであり、働くために生きているわけではない。」20代、不安定な日々、将来不安を抱えてそんなことを考えていた。時を経て若者と対話するなかで、若い世代のおもいに、それを再び感じることが多くなった。そして、「生きるためにどうしたらいいのだろうか」とふさぎこんでしまうこともある。けれど、「生きる道を創り出すのだ。」わたしたちの仲間の関心も、きっとそこにあるのである。ゆえに、わたしたちはマイノリティーとして孤立し、苦しんでいる人たちとともに、自分たちの手で未来のかたちを創出することや新たな価値観とともに、それが標準となる時のための種をまく実践を重ねている。こうしたなかで制限された選択肢に悩みに、気づいている人たちとともに、“働く”ことを通じて、マイノリティーの可能性を大きく広げることが重要であるとするならば、わたし自身をも含めて課された仕事は、当事者の理解を広げ、差別や孤立をなくす見解を出すではなく、当事者が自立できる具体的なゴールのモデルを創りだすこと、その具体的な方法を模索し、実践を重ね続けることなのだろう。
これまでの経験を生かして、心の地平線、未来を、可能性を創り出すために。自立へむかえば、やがて差別や孤立はなくなっていく。自由が広がり、気兼ねなく差別や孤立する環境で、我慢する必要はなくなっていく。そんなふうにおもっている。
「過去をみつめて、やがて未来を創るために」
若者たちだけではない普遍的な問いであると同時に、わたし自身の問いでもある。
2021年、年が明けて2週間が過ぎました。皆様、今年もどうぞ宜しくお願いいたします。