「50-80問題」を語る、その功罪

 対話、コミュニケーションが希薄な社会で、人との関係を作れないことに悩む若者たちや、後輩教員たちの相談を受けることがよくあります。しかし私がそうした質問に、うまく答えられているかは実際には定かではなく、現実的には、うまく答えられることもあるけれど、必ずしもうまくやっているわけでもない。ただ、これまで就労、教育研究の場を中心に、“数多くの失敗”をしてきたこれまでの私の人生岐路が、“成功のための叩き台”として機能し、人生における“失敗例の数々”を、先学としての教訓とするなら、極めて多くの事例、豊富な経験を有しているといえるかもしれない。そのなかで難しく感じるのが、相手の心に向き合うことで、これが一番難しいことであると思う。会話をすればいいと思うが、これは簡単なようで難しい。対話とは“真の言葉”を交わしていくことで成立するものだけれど、これは、そう簡単にはいかない。

 その理由は、常に相手との距離、対話、心の距離や信頼関係があるからである。どこかで建前や予定調和、その場限りのやりとりとなれば、相手の心は決して動かないものである。そして相手の感情に最大限に向き合い配慮をしなければならないといっても、それも適切にできているか定かではなく、無論、結果が付いてくるか定かではない、みえないものである。ただこれまでの経験からいえることは、悩み事を取りまいている本質は、さまざまな課題が入り組み、それぞれの直面している固有の現実に深く根ざしていて簡単ではないが、たとえなかなか解決できないとしても直接的に関わり、その一瞬、その瞬間、その問題に、真摯な態度で向かい合うことで、新しいなにかがはじまるとすれば、決して無駄なことはないともいえる。これまで、仕事とプライベートのなかで、人と関わり、いろいろな立場の人と向き合ってきたけれど、振り返れば、いろいろな悩み事を聞いてきたというよりも、悩み事を目撃してきたと表現したほうがよいかもしれない。簡単には当事者の直面する問題を解決することができない。だからこそ、解決に向けて、向き合い続けてなければならない継続性が問われるわけである。


 誰にも知られたくない悩みについて語る際、どんな人にも人権、尊厳があることへの配慮への議論がある。そこで今回の本題は、当事者以外が当事者を取りまく問題を語る功罪である。尊厳に配慮することは、当事者において誰にも知られたくはないものへも当然のこと含まれる。例えば、福祉現場の周辺でも、有識者を招き「当事者と向き合う○○」とか、氷河期世代の新たな問題、「50-80問題の本質」とかいった講演や学習会が催され、“当事者の現実を知る”“問題点を考える”とかいうようなワークショップやシンポジウムが、いくつもあったりする。実際に、私が所属する関連の学会でもよくある演題である。そうした取り組み自体をすべて否定するわけではないが、そのなかでロストジェネレーション世代以外が、力説している場面に遭遇することもある。しかし、こうした状況について、あえて厳しいことをいってしまえば、「当事者抜きに、当事者に対する尊厳を含んで、評論的な立ち位置で一般論を援用し、問題意識を論じるものが集まって、本質的な問題の解決のために取り組んでいることが、現実的に、具体的に、しかも可及的速やかに、当事者ないし当事者世代の実情の打開に資する支援策となるのであろうか」という点では、大いに疑問が残るのである。こういってしまえば、研究者の端くれとしては、もはや自己否定のようにも聞こえるが、私自身が研究界隈に身を置き関連しているからこそ、学問上、研究上の業績が、皮肉なことに“当事者不在”かつ理論先行の“机上の空論”になりがちであることが、多々あることを目撃しているためで、こうした陥穽は、実現性に乏しい非現実性を生み出し、本質の解決を疎外する盲点として突きつけられる問題である。

 事実、こうした問題は、一般的にマイナーな学問領域だが、同時代を歴史学の手法を用い研究する学問領域の現代史学分野において、有名な“昭和史論争 ”なる論争があり、この論理の典型的事例として指摘できる。この論争は、当事者不在の議論による、当事者疎外の矛盾点を突く事例である。「昭和史論争」は、昭和という時代の総括に起因する主題で、ことの発端は、昭和30年に岩波文庫から刊行された遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』(岩波書店、1955)で描かれた“昭和”というものが、“そこに確かに生活していた人々の営為が全く描かれずに置き去りにされたままの、当事者が不在のまま総括されて、国家や制度から論じられていく”、歴史学の手法に対する亀井勝一郎の問題提起にはじまる論争であった。こうした提起を受けて、歴史学者たちは、その他、歴史学者などの反論を“止揚”するかたちで、初版は絶版となり、改訂版として遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史〔新版〕』 岩波書店〈岩波新書(青版)355〉、1959年が刊行された経緯 がある。

 もっとも、シンポジウムやワークショップにおける“啓蒙や啓発”問題関心“の普及という活動は、関心のある者たちによる状況の把握、情報の入手先として有益で、その意味では一定の評価はなされるべきである。だがここで、ベクトルが異なる問題点が浮上する。もっとも評価できる点として、参加する人や関心のある人は、当事者やそうした立場に理解を寄せるサポーターで、演題に関心を寄せ、解決していかなければならないという意識を共有しているので、啓蒙や啓発という視点では、半ば目的を達成している。そしてシンポジウムの”情報通“から“情報や知識”を効率的に仕入れる機会、さらには関連書、最近は新書も手軽に入手でき、専門書を参照すれば、さらに情報の精度も上げられるというように、啓蒙、問題点の普及において、問題解決への糸口として重要な役割を果たしているといえる。

 だが一方、デメリットも存在する。「昭和史論争」のように、問題関心が、“取り上げる側によって偏ってしまう”ことが指摘できる。実際には、“当事者がどのように置かれている”かということは、当事者の数だけ“状況”が異なり、困難に直面している人の数だけ存在し、上述のように開催する意義はあるものの、ワークショップやシンポジウムで取り上げられる数、程度では、判断、理解において、まかないきれない問題がある。ワークショップやシンポジウムなどでは時間的制約もあり、性質として偏ってしまうことは仕方のないことではあるが、現実的には個別的ケースで、それぞれの個の人生の多様な帰納法的問題の集積を、演繹的なベクトルとして落としてしまう、捨象されて早合点してしまう性質の問題が浮かび上がることは指摘できる。

 即ち、それぞれが求められる必要な支援の質も、リアルタイムで無数の事例で異なるなか、議論で共有した問題は、すでに過去の遺物となる場合がある。それを解決するのは、当事者の現実と日々出会い、個々に異なるシビアな現実を、目撃することしか具体的な解決の糸口は掴み出せない。それも納得の行く形で見つけ出せるかはわからないものである。いずれにせよ、冒頭にふれた直接的な対話に乏しい状態で、“机上の空論”の拡大によって、問題関心の公約数、総意が、演繹的に導かれたとしても、かつての昭和史論争のように、“人々のここの営為、言われえないような問題”が抜け落ちてしまう危険性があるといえるのである。

 なぜいえるのか。それは、私自身が“氷河期世代のど真ん中”の世代であり、10年先にある、ロストジェネレーション周辺にある「50-80問題」の当事者であるために、一当事者としてとくにいえることである。もちろん、私の事例が、その本質の全体を要約しているわけではない。私の事例は、90年代後半から2010年代まで、不安定な雇用で生活をつないでいた身で、院に進学したが、最初の“就職に失敗”し、研究における雇用の調整弁のような身分で食いつなぎ、非正規の悲哀とともに、日々を悶々と生きている中、平成時代の半分くらい、“未来に光明がみえず”に過ごしてきた経緯があり、ポスドクで光明がみえない友人もたくさいんいた。そうしたなかで若い頃、正規雇用の友人たちがとても眩しく感じた。20代前半、今思えば複雑な気分で、将来への期待と不安が渦巻いて寝付けない夜も多かった。苦しかったが、“そうは感じていない”ように装い、自分自身は問題がないかのように振舞っていたが、当時のルールは、自身の問題としての議論が優勢で、“自己責任”で済まそうとする時代であった。当世代ならば少なからず、雇用制度や構造的欠陥に翻弄された経験、いい知れぬ過去、そして、そこには当然、人としての人権、尊厳があるものである。

 “自分探し”という表現や、その帰結として“自己責任論”として刷り込まれた時代に、「勝ち組、負け組」ということばに象徴されるような無常の世界が、「時代のルール」とされるなか、当時、「新自由主義」体制が、市民社会の目指す総意として、社会の構成員による公正な選挙によって、“社会の正義”とされ、合法的な手続きによって肯定化されたのだから、その意味では仕方がないのかもしれない。多数決による正義とは少数派にとっては残酷な結果を導き出す。大げさかもしれないが49%の正義は、合法的に切り捨てられているのである。ここに福音の配分における非平等性をして、操作できる民主主義なる制度の限界があるといえる。だが未成熟な正義の、そのしわ寄せは、2000万人の世代人口のロスジェネレーションの抱える「50-80問題」として浮かび上がるのは、早晩自明なことで、社会が問題から逃げても、現実は追いかけてくるものである。こうしたなか、シンポジウムや学会などで、“身分の保証された”有識者たちが、懇切丁寧に熱弁をふるって、“自分自身の関連する問題”であるとして、当事者たちと議論や問題関心の共有がなされていると理解したとしても、現実として、困っている人たちの心で共感されているかはわからないものである。生活への福音となるのが実際に、“いつなのか”は定かではないし、またそうした福音が“実現されるか”すら”定か”ではないからである。この25年間に及んで、この問題の芽は常にあったが、掛け声先行のきらいがあった印象がある。ともあれ実態の改善に乏しければ、当事者の心に響くわけはない。指摘されても解決できていない社会の構造的問題であったからこそ「就職氷河期問題」が、「50-80問題」として就職から親の老後を含んだ問題へとマイナーチェンジした面もあろう。いずれにせよ本質的に、ロスジェネを取りまく社会問題が、四半世紀にわたり解決をみいだせない背景としてあるのは、当事者の実情に寄与する中身が不在で、あるいは意図的な不在による「建前」の論議で現象として済まされてきたことなども、問題の本質が改善されてこなかった証左といえよう。近代市民社会において、正当な民主主義の手続きを経て、「新自由主義」体制によって生じた雇用構造的な宿命に起因する特定の世代を取り巻く問題が、それを作り出してきた民意や社会の構成員によって論じられるのであれば、自己矛盾、いいかえれば自己否定もはなはだしいといわざるをえない。
 
 10年に1回くらい、氷河期世代を救済するための公務員の募集に氷河期世代枠として150名程度の枠が設けられるが、そこで1万人の応募があったという現象は、ここ20年で2~3度くらい目撃している。1万人のうち9850人は現状のままという事である。もっとも国や行政としても“やっているんだ”感は出しているが、こうした取り組みが凡そ25年間、“雇用の調整弁”として苦しんできた人たちに届くかどうかは、全くもって定かではない。民主主義国家の限界として語るならば、選挙権を持つ市民の総意が、矛盾した制度を創り出した責任であるから、現実的に要請されるべきなのは、翻弄された者たちの立場に寄り添う意識より、社会保障も含めた施策、“現実的には、ちゃんと生活出来るような仕組みが早急に出来るか”という具体策を打ち出していくことであろう。私たちの法人や志をともにする就労系の法人は、微力ではあるが、困難な状況におかれた人たちの尊厳と自立のために、そして一人でも多くその目標を実現するために日々、具体策と向かい合っている。私個人としては、真に困っている人にはなかなか届かないような正義の背後にある世の中の矛盾を上げればきりがない。忖度しあって、手前勝手なやった感を醸しだしていれば済むかのような、建前ばかりの正義に辟易しているわけである。

 福祉制度もその一つである。分かりやすくいえば、この制度は「その人が助けてといわなければ、助けられない」という解釈をする人が多いらしい。もっとも制度の運用の手続きとしては、それも正しいのかもしれないが、物事の本質を解決するには、実際には不足している概念といえよう。実際には困っていてもSOSを表明しないひともいるからである。制度を運用する上での合理性として必要要件を満たしても、充分要件としては全く物足りない。制度を逸脱したところでもがいている人は”いない”こととされ、素通りされているからである。であれば、単に結果としてみれば、「助けられないのではなく、助けようとしないだけ」であるという”結果が出ている”ということに過ぎない。現実的にはまったく変化がないのである。それを悪用した、確信犯的なひとたちも一定数存在する。深読みすれば不利益に深入りしないようにして忖度し合っているようにしかみえない。

 法や制度を作り決めるのは市民社会の構成員だが、人は間違える動物なのであり、それも厄介なのは、意図的に間違えるフリをする人もいることであり、ゆえに法や制度は、不完全なものになる。法や制度は正義ではあるが、これが唯一の正義で、万能の剣と解釈することは危険なことであり、市民はリーガルマインドを意識して法や制度を、時代の実情に即して精査しなければならない。至らなさや、そこで埋もれている矛盾によって素通りしてしまうことを減らすためにもである。法による統治や正義は、人権を保障するための万能の剣でなければならないが、それを逸脱して運用されることもあるのが現実で、法の限界、統制できない問題もある。その現実の形として浮かび上がってくるのが「50-80問題」に象徴されるような社会病理、さまざまな問題群である。

 

 口先だけでいくら分かったかのようなことをいっても、実際の生活へ寄与しなければ、当事者にとっては、何ら意味もないことであり説得力はない。相談が難しいのは、それを含んでいるからである。たとえ啓蒙が進んだとしても、それだけでよいわけではない。実際に当事者として実際の生活に恩恵や変化がなければ、社会の認知、理解が進んでいるのに、「むしろ、なぜ解決されないのか」として、当事者はさらなる「猜疑心」や「孤独」に追いやられ、精神的にもより追い込まれていくだろう。個人の尊厳が、みえないかたちで深く傷ついていくことは自明なことである。誰にでも、触れてほしくない、思い出したくもない過去がある。未来への希望は、この瞬間の安堵が連続していくことでしか成立はしない。こうしたなかで具体的な解決や取り組みについて仕事としない評論家や有識者たちが職業として、「斯様な状況は問題であるから、周知を深めなければならない」といった問題提起に止まり、あたかも当事者目線で、「語る、功罪」は、私たちの日常に氾濫する、もっともらしい大義名分と、偽りの連帯感を醸しだす温床ともなりえるだろう。

 


2020年10月25日