時代のルール
社会に出た子どもたちは、理不尽な社会矛盾とどのように向き合っていけばいいのか。目まぐるしく移り変わる社会、この問題は、子どもを取り巻く社会に限らず、教育を取り巻く現実においても同様、そして日々の雑事に忙殺されていく人たちすべてに、社会矛盾という問題は襲い掛かってきます。この問題についての明快な答えは、今のところ全くもって出ていません。こうした問題に対峙するために、子どもたちの身近な社会である学校では、社会を知るための場所として、生きるための様々な状況を体験し、生き抜くための道具を身につけ、よりよく生きるヒントを学んでいます。しかし大事な学びの場を支える現場は、教員が多くの仕事を抱え忙殺され、孤立無援となったり疲弊している声を、教育系の研究者や教員、元教員の方と情報交換するたびに耳にします。多くの矛盾、現場の苦労と日々向き合い、孤軍奮闘、理想ばかりでは成り立たない現実、孤立、うつ病、精神疾患、チーム学校の必要性は、支える仕組みなどの構築を含めて、議論のたびに浮かび上がる問題です。
私自身は、教育と福祉の間で、学校を巣立とうとしている子どもたちや、学校を巣立った後に、社会の荒波、厳しい局面で格闘している人とともに、矛盾に満ちたの荒波へと対峙するの同志として生きています。私自身、社会の矛盾、現実の壁にぶつかってばかりいます。けれど社会に出れば、正解は自分で作り出すしかありません。学んだことを生かして切り抜けてゆくのが理想ですが、現実は、そううまくいかないものです。めまぐるしく変化する現代社会において、不信、不安、困難は想定内の事象ばかりではないなか、人生という航海のなかで、不正確な羅針盤を握り締め、暗中模索のなかで足を前に進めていく。そうしたなかで居場所は大きな拠り所です。私は学生時代、人生のヒントや、なにかを得ようとして学校にいっていたわけではなかった。出席日数、単位ぎりぎりで高校を卒業し、単位を取れなくて留年する夢を未だにみることもあり、少なくても私にとって学校は、居場所ではなかった。楽しいこともありましたが、いじめを受けることもあったし、あまり好きではなかった。好きな音楽に身を沈潜させ、日々をやり過ごしていたことを思い出します。
めまぐるしく変化する現代社会において、時代は絶え間なく新たな価値観のアップデートを要求し、そこにキャッチアップしなければならない切迫感が、人を焦らせ駆り立てています。むろん模範解答などどこにもないし、あってもすぐに陳腐化し、今日の正解は、明日の不正解へとあっという間に変化していく。荒波の航海のなかで居場所はみつけられず、孤独や不安は何重にも重なり、気づくと身動きはもう出来ない。いつしか自分を守るために、ひきこもるか、ひきこもれなくても、できるだけ心を閉ざす。知っているようで知らない人たちが、町を行き交い、うわべのコミュニケーションは成熟し多様化し、空気の読み合いで疲労困憊している。そんなふうに感じることがあります。こうした社会病理を、一つ一つ解きほぐしていくことは、複雑にもつれ合うさまざまな事象に根ざしていて困難であるけれど、やらなければならない時代の課題なのではないか。そんな風に考えています。新たな時代の新たな働き方、労働観、価値観、心の居場所を作り出すために、どうしたらいいのかと日々、悶々と課題に対峙しています。
コロナ以後の社会、これまでの価値観は変容を余儀なくされていて、就労系事業者としては、新たな時代のルールに基づく就労の可能性を模索し、価値観や考え方も含め、そこへの向き合い方を提示していかなければならないと感じています。 就労支援は、ただ労働環境の技術や知識を得るための機会の提供で終わってはいけないのであり、支援の大枠で、メンタル面の支援を軸に、労働に資する心のあり方、困難をどのようにやり過ごすかということも含め、健やかに過ごしていくためのマインドを軸に据えて、支援していく必要があると思います。ならば支援に一定の正解やおわりはありません。目まぐるしく変化する外部環境に対して、人の心は常に変化し、困難に対峙し揺れ動いていくものだからです。
支援に求められるの役割の一つとして、わたしたちは、ただ働くために生きるのではなく、生きるために働く意味、ライフスタイルの選択、困難に対峙する心のあり方、健やかに歩むためのヒント、自助的な気づきを、人とのつながりなかで掴むことを基軸に据え、そこに資する素材を、学び取っていく場を提供することがあります。
人生の選択に正解はなく、答えのない無情の世界で、自分なりに答えを出す力を得るために、不安を抱えながら日々模索することが、次の一歩につながっていくのではないか。
私と同世代のアイコン浜崎あゆみさんは、次のように歌っています。
「居場所がなかった。見つからなかった。未来には期待できるのか分からずに」「A song for XX」