新たな一年

支援の羅針盤

 

 昨年のオープン以来、あおばは何かと忙しい日々を過ごして来ました。正確には9ヶ月間、あおばでたくさんの方と出会い、そして出会った利用者さんから、改めてひとりの人生というものを考えさせられた一年でもありました。こうしたなかで、私自身がたえず向き合ってきたのが支援という言葉です。就労継続支援といっても、一つとして同じ人生がないように同じ支援というものはありませんが、支援をさせていただくなかで感じたことや意識してきたことは、利用者さんごとに抱えている問題が、生きづらさと向き合うということは同じであっても、生きづらさの質が多様に異なるなかで、正解を簡単に求めてはいけないことを、常に意識しながら支援してきました。これは、今の局面では求められる支援かもしれないとしても、この状況では、異なる支援が必要になるということであり、そのあたりを念頭に置きつつ支援方針を整理し、一緒に考えながら歩んでいくなかで、何かのヒントがみえてくる。そしてそれをヒントにして、次の問題の糸口を手繰り寄せるようにして解きほぐす。とはいってもまた一度、立ち止まってまた振り返り、みつめなおすというような支援の柔軟性が求められてきました。

 

 人はきっと誰もがみなそうですが、さまざまな困難さを冷静に受けとめて向き合うことは、決して容易なことではありません。時間を要する問題もあります。あせらずゆっくりとなのです。前向きに生きることは大切なことですが、心のどこかに余裕を持つために、人生という止まることのないエスカレーターの上で、時に後ろを振り返ることもみつめなおすなかで必要なことかもしれません。

 

 現代社会が情報化社会の進展とともに知識、情報として生きづらさや固有の困難さが理解される土壌が切り開かれ、多様な生き方を尊重していくという価値観が、地域社会やなんらかのコミュニティーにおいて、一つのライフスタイルとして肯定されて、社会において共有されつつある時代であるのだとするならば、ひとが受容されながらいきていくということの必要性について、その具体像として、一般的に社会ではどのように向き合い位置づけられているのか、ないし位置づけられるのかということを想定しみると、この社会はヒト、もの、情報、サービスなどが分業化し、高度に合理化の進んだ社会システムにおいて専門性や分業といった壁によって、本来であれば教育、介護など時間と手間をかけていかなければならないことが希薄になる素地が整えられているなか、隣人の顔が見えにくい向き合いにくい社会構造の進展によって、知識や情報は共通認識としてあるものの、肝心の価値観を共有する相手とどのような関係、向き合い方をすればよいのかというように、お互いの関係性を築く機会は、少なくなりつつある社会であるといえるでしょう。

 

 そうならば、たとえ尊重すべきことは知っていても、果たして隣人がどのようなひとか知らなければ、向き合うことの大切さを知っていても、どのように向き合えばよいのか分からないものであるし、何を尊重すればよいのかは分からないというような状況は、決して想像に難くはありません。しかし、こうした本末転倒な状態においても、ひとによってはヒトと関係なんか築かなくとも、便利になったこの時代をうまく生きられるというヒトもいるかもしれません。でもやはり、ひととひとの関係のあり方とは、「袖振り合うのも多少の縁」「向こう三軒両隣」などの言葉があるように、古き時代を振り返れば、決して現代のような関係性がすべてではありませんでした。

 

 平成という時代を振り返れば、バブルの余韻を残す平成の幕開けにまもない1995年、経団連は「新時代の日本的経営」という方針を掲げて、雇用構造の大きな変化を起こしました。そして2000年代以降、非正規雇用の割合は増え続けて、いまや40%にまでなりました。こうした影響によって格差社会が着々と進展し続けるなか、もはやいうまでもない常識であるといわんばかりに、一世を風靡した勝ち組や負け組みといった言葉も、いまや気にも留められません。けれど、人の心はいつの世も、うれしいことはうれしい。楽しいことは楽しい。つらいことはつらく、苦しく悲しいものでしょう。決して平等な社会ではないからゆえなのか、平等の必要性や公正さが求められる機会も増えてきているのかもしれません。

 

日本社会は2020年代に差し掛かり、少子高齢化が進展する一方、特別支援教育を取りまく環境は、どのようになっているのでしょうか。現在、特別なニーズにたいする研究の進展とともに、特別支援学校の数は増加の一途をたどっています。地域や人と人との関係性の希薄化したコミュニティーがが、もはや当たり前のようになるなかで、固有の生きづらさを抱えつつ生きている人が増えているなかで、皮肉なことに、ひととひととの関係性を構築することの困難さが叫ばれる時代、社会構造のさらなる進展をどのように受けとめるのか、今更ながら問われているのかもしれません。

 

 ただ生きづらさを抱えながら支援を必要としているひとは増えていても、教育や福祉という分野において、また支援というものに正解や終わりはありません。教え、受けとめ、寄り添い、見守るなかで、そして私たちは気づかされていく。私たちはこれまで、生きづらさを抱える人たちが、その生きづらさをひとりで抱え込まずに生きていけるように、ともに考えて、とことん受けとめて、寄り添っていくという方針の下で支援し実践してまいりました。私たちにみえなかった何かを気づかされ、みえかかった糸口を手繰り寄せ、支援の羅針盤として生かしてきました。平成という時代が終わりを告げつつ、生きづらさや混沌さがみえにくい社会と時世のなかで、次なる時代がどのような価値観を採用しようとも、私たちは、これまでと変わらない姿勢で支援し続け、生きづらさを抱えている利用者さんの居場所となり、ともに困難な時代をたしかに歩んでいきたいと考えています。

 

長くなりましたが、本年も宜しくお願いいたします。

2019年01月23日